家族が壊れたとき





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一幕

2000年・・・
	
	
世間では世紀末と騒がれていた時、私は癌と戦っていた。




最初の診断は「ステージVのA」と診断された




その前年からもう既に癌特有の症状は出ていたが、私は意地を張っていたのかもしれない




そのまま放置していたのだった。



 
何故なら今も何とか一緒に生活している夫に理解してもらいたかったからであろう。




 全てはここから始まったのでしょう・・・ 






イヤ、もうとっくに始まっていたのかもしれないが 





今回は借金について書かせてもらうので病気の話はこのくらいで・・・





私と夫とはもう20年近くもの時を共に生きてきた




今思えばあまりにも幼く人を見る目も出来ては居なかったのだろう


当時、夫18歳、私17歳、いわゆる出来ちゃった婚。


最初は中絶も考えた。


しかし超音波検査を受けて必死に動いてる心臓を見てしまった


私には出来なかった。 


これからこの夫の正体が分かってくると思いますが、夫は当然中絶を望んだ。 


もちろん、年齢も年齢ですから当然と言えば当然だ。

 

若年婚には親の同意が必要です。もちろん答えはノー。


夫の父からは「そんな子供を産んだら踏み殺してやる」とも言われた。


親となってからは少し気持ちも分かる。



とにかく、若さというものはスゴイ。一人で生む決心をした。


味方は誰一人いなかった。


それでも認知だけはしてもらいたく夫の親元へ何度もお願いに行った。




私が認知にこだわったのは子供の戸籍が長男ではなく


第一子と記載されてしまうことを避けたかったからだ




霞ヶ関の家庭裁判所にも相談に行った。


とうとう8ヶ月になってしまいようやく入籍できた。


それからもずっと大変な日々が続くのだが・・・どうも話の方向がずれてしまう。


家族構成を紹介したかったんだ(笑)


夫、私、頑張って産まれた長男、長女、次男の5人家族


長男と長女の間にも男の子がいたのですが妊娠9か月で亡くなってしまった・・


また話がそれてしまいそうなので・・・



	
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◆反省と教訓◆

つまらない意地を張ってもなにも意味がなくそのための我慢が何倍ものストレスとなり

自分にかえってきてしまいなんの得にもならなかった。

つまらない意地のために大きいな代償を身体に残してしまった。

幼少時の家庭環境のせいにするわけではないが多少なりとも影響しているのか

自分を大切にするという意味が皮肉にも今回の件で解ったような気がした。

それでも生きている間に気づきまた子供たちに本当の意味で自分を大切にする事ができれば良しとして

精一杯の愛情で愛されることに慣れる人間に育ててあげたい。

負け惜しみのように聞こえるかもしれないけど

それが自分自身を大切にしなかった自分ができる子供たちへの償いなのかもしれないと今は思う。