家族が壊れたとき





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十一幕

男は仕事で外に出ていることが多い


しかし、母親である女の私は小さな子供を抱え逃げ場はなかった。 




外出から戻るとポストからこぼれる請求書やヤミ金からの勧誘のハガキ・・ 


留守電を再生すれば訳の分からない人からのメッセージ・・ 


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次第に私は体を崩し始めたのだった。 



そうこうしているうちに子供の受験も無事終わり公立へ合格する事ができた。 





この頃からだっただろうか・・


あれだけ協力して払うと言ったはずの兄からの入金が滞るようになったのは・・ 



その分の兄の支払い分は必然的に誰かが負担をしなくてはならなくなってくる。 






それぞれが目一杯のところで戦っているのだから誰が負担をしてもきついものがあった。 



もちろん兄にも再三の請求をしてきた。 




しかし兄の仕事の状況が芳しくないようでいつも決まって



「○日には入金があるからさ・・」こんな歯にきぬ言葉が返ってきた。 






しかし、実際には支払いをしてくれることはなかった。 



徐々に皆が兄に期待を持たなくなっていった。  




こうして又それぞれの分担金が変更される事となっていった。 





しかし、ただでさえ目一杯の支払い状況・・




夫の両親達は年金からの支払いは苦しいものとなり、




弟の名義を借りて更に借金を重ねていく・・ 




これは弟の奥さんには内緒でとり行われた。 



不思議と私の所にはそういった話はこなかった。



というより私が何より借金を借金でという事に嫌悪感を抱いているのを知っての事であろう。





いや、もしかしたらそんな内緒の借金がすでにあるのかもしれないが・・ 





この弟名義の借金は徐々に枠を広げ私の知っている範囲で現在で100をも超えている。 





そのほかにも自らがやりくりできないことで借金を重ねているのだから


私の予想外でもあるのであろう。 






とにかく私は冷たいようではあるが



まず自分で補える借金を返していくという目標に向かっていった。


	
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◆反省と教訓◆

徐々に取り決めてきたことが崩れ始めた時期だった。

夫との喧嘩も多くなり始め夜勤を出るようになってきたころだった。



この夜勤”が後に大きな問題の発覚になったのを私は知る由もなく

自分で言うのもなんだけど けな気にも


夫がお腹を空かさないようにと・・メニューにも心配りをしいつも多めに持たせてた