家族が壊れたとき





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十三幕

呼び出された話の趣旨は概ね察しがついた。 




私たちは待ち合わせ場所である、ファミレスへと向かった。 




兄が一足早く到着していて外で待っている様子だった。 




挨拶もそこそこに兄からついで出た言葉に愕然と肩を落とした。 



何と兄はファミレスに入るジュース代すら持ち合わせていなかったのである。





私は胸が締め付けられるような思いと



今日きつく言わなければならないと言う複雑な気持ちで心が入り乱れた。 







店内に入りドリンクバーを注文して程なくして話し相手である先方が店内に入ってきた。 




ピンと張り詰められた重苦しい空気の中での紹介が始まった。 





私と弟の嫁は軽く会釈を交わした。 最初に口を開いたのは先方の1人だった。 






おもむろにカバンから数枚の書類を出し始めた。




そこには今まで兄に立て替えていた分の明細が書き記されていたのだ。 




そしてここの所滞っていた金額やら何やらを説明し始めたのである。



そこに記載されていた金額は1千万を越していた。





私にはこんな大金の肩代わりをどうしてしたのか疑問だった。




返せる見込みなどどこにあるのだろうか・・ 




しかし、その矛先をこちらに向けられたのではたまらない。 





堂々巡りの話が何時間続いたのだろう。 




時計の針はとっくに12時を越していた。 これ以上話をしていても結論は出ない。 






そこに居たみんなそう思ったに違いない。 




しかし誰もその言葉を口に出そうとはしなかった。








2週間以内に130万を返済しなければ大変な事になるという。 




ジュース代さえ持ち合わせないのに・・ムリだよ・・



私でなくとも皆っそう思ったに違いない。時間だけが空しく過ぎてゆく・・





先方も埒の明かない話にくたびれてしまったのであろう。 また相談をする。 




そう言ってその場を解散したのだ。




釈然とはしなかったもののとりあえずは・・という感じだった。

	
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◆反省と教訓◆

この頃は本当に皆が余計な出費を抑えたかった時期だった。


たとえジュース代だけでも数百円単位で厳しい状況だった


子どもたちのお菓子代も厳しく外出時には必ず水筒と空腹にならないようにおにぎりを持たせていた



夏休みになると昼食に頭を悩めたものの次第に子供たちと小麦粉を練ってうどん作りをしたり


手作りピザもどきなんていうのも作ったり、


お米しかない時には余ったご飯をつぶして棒状にまるめたものにみそと砂糖を少しの水で溶いて


塗ってグリルで焼いたりした。これが案外美味い。


うどんを作った時はうどん種をゴミ袋にいれてみんなで踏んでのばしたら


ゴミ袋が裂けてきて大騒ぎした



逆境がかえって子供たちとの楽しい思い出になった