家族が壊れたとき



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十四幕

全くどうしたものだろうか・・



それでも兄とて全く売り上げが無いわけではない。



仮に借金がなければ通常に生活をしてゆく分には充分に値する売り上げはあるのだ。


倒産





しかし自己破産の時に兄は友人であるその人の借金は


申告しなかった為にもう何年も苦しんでいる。 



それは、友人を裏切れないという一心だったに違いない。 


だが皮肉にも今その事で苦しんでいるのだ。兄にも家庭がある。




いや、今ではあったというのが適切なのかもしれないが・・ 


兄は離婚していたのだ。 とてもショックだった。



精一杯の努力をしてきた事であろう。





しかし家庭に入れられる金など何処にあるのか・・


といったところであろうか・・




 


借金は全てを破壊に導いていくものだと痛切に感じた。 




子供たちがまだ幼かった頃仲良く遊んでいた事を思い出すと




居たたまれない気持ちで一杯になる。 



しかしどうする事もしてあげられない。自分の無力ささえ感じてしまった。 





これが身内同士で保証人を立てる怖さだとも実感した出来事だった。 





始まりは小さな歪みが時間の経過と共に大きな歪みへと変貌してゆく・・






しかし、そのど真ん中に居るものにはその歪みは気づかない。





そしてその歪みに気づいた時には



もう自分ではどうしようもないものとなってしまっているものだ。





小さな歪みの時にそれを諭し止めてあげるのが最高の思いやりだと私には思える。 





人にはこうした考え方は中々受け入れてもらえないもので



良く思われることは少ないのが現実だ。



もちろん、夫が以前保証人を受ける、受けないで話を持ち出した時にも


こういった考え方には共感してはもらえなかったことだった。





過ぎてしまった事に後悔の念を今更言ったところで何も始まりはしないのだが、


私にはこうなってしまう事を危惧していただけに残念で仕方がない。 



たいした所には行けないが家族で旅行に行っても


おみやげ一つ持っていく事に気を遣わなければならない。 




当たり前の出来事一つがその場で話してよいのか否かを考えながら


ひとつ、ひとつ、言葉を慎重に選びながら会話をする。






こんな事をいつまで繰り返さなければならないのであろうか・・ 


おそらくはもう、昔のように気兼ねなく笑いあう事はないのであろう。 





以前はそれぞれの家族が夫の実家に集まり、大人たちは父と酒を酌み交わし、


子供たちは子供同士で時間を忘れてはしゃいでいた。笑いが絶えなかった。 




帰宅するのはいつも夜中で帰りの車中子供たちはすぐに深い眠りに入ってしまった。 




皆が楽しい時間を共有していたものだった。それも今では過去の話だ。


	
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◆反省と教訓◆

気持ちのゆとりが皆から徐々に消えていく中でそれぞれの子どもたちが成長していく訳だから


助けてあげたくてもみんな自分の家で目一杯だった。


それでも幼い頃から成長を見てきた子供たちの顔をみると胸が苦しかった。


自分の家の近況も言葉を選んで話すようになっていた