家族が壊れたとき





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二幕

病気になった2000年2月に私は手術をした。



それと時を同じくして夫の実家の家業の経営状態が


怪しくなってきたようだった。


倒産



今思えばそれ以前から傾き始めていたのだろう。


その一年前に夫の父も脳梗塞で倒れたから相当ストレスが溜まっていたのだろう。



ちなみに私の入院は10ヶ月の入退院を繰り返す始末。


その間に夫の実家宅では恐ろしい悪夢が始まっていた。



入院中は夫と長男、次女は主人の実家で面倒を見てもらっていた。



先程10ヶ月の入退院と申したがこれから書く


ある事件?のことで無理に退院してきた。



これは決してオーバーな話ではなく、2度目の手術を受けたあとお腹が膿だらけ



ようはMRSAから腹膜炎を起こし敗血症となりお腹の傷が空きっぱなしで


そこから膿を排出するために縫い直す事はしなかった。



それは良いのだが、そのような状態が治まりつつある中、



ある日夫が病院に来て



「ヤバイなぁ・・実家にヤミ金業者がきて保証人に成れって言ってるんだよ。
  
  今、実印とって来いって言われて抜け出してきたんだけど、待ってるんだよ。」





またいつもの助けてモードだった。助けてもらいたいのは私だよ!



それでもやっぱり放っておく事は出来ない。



私の住まいと主人の実家では車で1時間はかかる。それをいい事に私はこう言い放った。



「帰るまで放っておけば・・とりあえず明日先生にお願いして退院するから」



それを聞いた夫は病院をあとにした。

	
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◆反省と教訓◆

今思えば困難に立ち向かうとき主人が頼りないからと言って私自身がどのような状況においても

酷使してしまう自業自得みたいなところが主人をそうさせてしまったのだろうか。


教訓としては頼りがいがあってたくましい女は幸せになれないのかな・・なんて(笑)

頼りがいがあってもたくましくても自分自身の一杯、いっぱいの頑張りは

粘着性があってひっぱるとすぐに切れてしまう ・・まるで蜘蛛の糸みたいだ

もう少しゆとりをもって柔軟性があるような頑張り・・

幼少時から一人でいることの多かった分家族に理想を描きすぎて無理にそれにそぐう様に

身を削るように頑張ってることが美徳だと思っていたのかもしれない

いつしか気持ちの上でいつどうなっても良いや・・

という状況になってから求めることをしなくなって喧嘩もなくなる。今までどんだけ頑張っても悪循環だった。