家族が壊れたとき





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三幕

翌日私は医師に通院で毎日通う事を条件に
	  
一人電車に揺られながら夫の実家へと帰って行った。
	  
	  
	  
実家が間もなく見え始めた時、
	  
いかにもと言うような車が2台玄関脇に止められていたのだ。
	 
私はすかさずペンをとり相手の車のナンバーを控えた。
	 
	 
何事もなかったかのように家へと入っていくと
	
これまたいかにも、というような人が二人ごっつい顔を並べて座っていた。
	
	
私は入るなりその人たちにグッとにらみを効かせてしまった。
	
	
その日は主人は仕事に行っていた。っていうよりその方が好都合だった。
	
	
それでためらっていた夫に私が言ったことだった。事情は分かっているので話は早かった。
	
	
ヤミ金業者も簡略的に用件を伝えてきた。
	
	
	
「ご主人のお父さんが借金を返してくれないので
	
	  子供さんたちに何とかしてもらわないと帰れないんですヨ」
	  
	  
そう私に告げてきたのだ。続けて男たちは
	  
	  
「保証人という形で昨日もずっと待っていたんですけどね」
	  
	  
そんなことは知っている。私が行かないように仕向けたのだから・・
	  
	  
2社のヤミ金業者達は飛ばれることを危惧していた。
	  
	  
	  
だから、その日も朝早くから来ていたのだ。
	  
	  
夫の兄はすでに保証人にもなっていたから何をするにも張り付かれっぱなしであった。
	  
	  
 一人で行動することは許されない状況であった。
	  
	  
私はそのヤミ金業者二人にハッキリと言ってやった。
	  
	  
	  
	  
「お宅たちが不安なのはわかりますけど
	  
	  私も今初めて会ったあなた方を信用するわけないでしょう。
	  
	   どうして簡単に実印なんか、保証人になんかなれます?」
	  
	  
	  
そう言うと男たちはこうきり交わしてきた。



「じゃあ、こうしましょう。どこかでお金を工面してきてください。」




ふざけんな!私は心の中でそう呟くと


何を言ってるんですか?私癌になったせいで、


今お腹の傷も開いた状態でただ事じゃないからって無理を言って退院してきたんですよ。


病気のせいで病院代も払えない状態なんですよ。」




長期にわたる入院で高額医療費が時間差でおりてくるのだがそれは伏せていた



それに仮に病院代は払えなくても貸付制度というものがある。



一か八かだった。



もし、ヤミ金業者がそのことを知っていたらまた違う言い訳探さなければならなかった。



実家の両親にはひどい事言ってしまうかもしれないけれど、



ヤミ金業者に帰ってもらうためだからと言って最初に釘を刺しておいたのだ。



幸いヤミ金業者は医療代のシステムまでは知らないようだった。



逆にヤミ金業者から「奥さん、大丈夫ですか?」と心配された



私にしてみればハア?である。空かさず





「だってお宅たちが来ているんだから大丈夫じゃなくたって仕方ないでしょう。」



私は精一杯の皮肉の気持ちを込めて言ってやった。


そんなこんなでその日も終わり夜遅くヤミ金業者たちは実家を後にした。
	
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◆反省と教訓◆

腹膜炎から敗血症になって個室に隔離された時死を覚悟したのが強気にさせたのか

積年のうっ憤を闇金業者にぶつけたのかよくわからないが

命がけの闘病中から辛うじての復活時だったからか不思議と怖いものはもう何もない、位の勢いはあった。

ただ、ただ、これ以上の苦労はもうたくさん!この一念だった。

馬鹿みたいだけどMRSAから敗血症になってこれという効く薬がなかった当時にはこのくらいの勢いがなかったら

おそらくは今存命はしていなかっただろう。

体力か?CRPが26を超えても退屈で廊下をうろついていられるのを医師に不思議がられたり

部屋で絶対安静なのに車イスで病室を抜け出し一服。。長い入院生活、少しでも病院から離れると気分がよかった

看護師にはみつかると怒られていたが医師は悪意のない見て見ぬふりをしていた。 無茶苦茶

NO!と言えない勇気のなさが家族みんなを苦しめてしまう。主人には高度なことなんでしょうか?